【日本統治時代の台湾】戦前、日本人として育った、とあるおじいさんの話

【日本統治時代の台湾】戦前、日本人として育った、とあるおじいさんの話

唐突ですが、1895年〜1945年まで50年間の間、台湾は日本の領土だったという事実はご存知でしょうか?

台湾といえば、日本人にとって超人気の旅行先ですよね。とはいえ日台の歴史背景を理解して台湾へ行く日本人がいったい何割くらいいるのでしょうか?それとも常識的にみんな知っている事実なのでしょうか?

筆者は世界史が大好きで高校の時の全国模試でも常に上位にいたほどの歴史好きでしたが、台湾を訪れ、実際に日本語世代のおじいちゃんやおばあちゃんと交流するまで戦前、台湾は日本統治下にあったという事実をしっかりと認識することが出来なかったです。

いくら教科書や本で学んだことでも、実際に流暢な日本語を話す台湾の人々と出くわしたときに「あぁ、授業で習ったような気がするけど本当だったんだ」と肌で感じ、全ての断片的だった知識がつながり歴史への理解が進んだ気がします。

台湾と日本の関係史をサクッと学ぶ

なぜ台湾は親日なのか?日本統治時代50年振り返る ナゼ台湾人は親日なのか?日本統治50年の台湾史を研究してみた。

さて、まぁ前置きは長くなりましたが、2013年に台湾自転車旅行(環島)にいってきた際に、とある日本語ペラペラのおじいちゃんに出会いました。

そして、その際に日本統治下で育った日本語世代のおじいさんが、青春時代にどういう風に過ごしてきたのか、などを伺ってきたので、その時のことをカンタンに綴りますね。

高雄港近くの食堂でカレー屋を発見!

【環島】台湾自転車一周の旅、2日目 【環島2日目】台中駅まで休み無しで100キロ走破!その後は「高雄」まで電車輪行ワープ?!

朝8時、連日の激しい運動に疲れが出たので。ゆっくりとした朝を迎える。

起きた後は、高雄市内の港町を自転車で走り回る。朝ごはんにローカル食堂カレー食堂を発見!

カレーを一つ注文すると…お店の奥からおじいさんが出てくる..

おじいちゃんは日本語ネイティブの台湾の日本語世代だった!

おじいさん

こんにちは!キミは日本人かね?
ニーハオ!ん、えっ?はい、日本人です。(あれこの人は日本人?)

フリーメイさん

おじいさん

高雄へは観光ですか?
はい、あの『環島』といって、自転車で台湾を一周しています。

フリーメイさん

おじいさん

そうですか〜。元気で良いですね。台湾はどうですか?
とても素晴らしいところです。あの〜、日本人の方ですか?なんでコチラに?

フリーメイさん

おじいさん

ははは、私は台湾人ですよ〜。日本語も上手いものでしょう。子供のころは日本語で育ちましたからね。戦前は日本人として教育されてきましたからね。私、〇〇という日本名もありますよ。
(ハッ・・・!そいえば戦前は日本は台湾統治していたと習った!)

フリーメイさん

おじいさん

あなた達、日本の若い世代はみなさん、そういった反応をしますね。はっはは、しょうがないですよね。敗戦を迎えてお互い苦労してきましたからね。

日本統治下の台湾はどんな雰囲気だったの?

高雄の台湾人のおじいさん

あの〜戦前の日本語世代ってどんな風に育ったのですか?

フリーメイさん

おじいさん

そうですね〜、野球をしたり、仲間とチャンバラや日本語の軍歌を歌ったり、普通の日本人として過ごしていましたよ
えぇ!なんか想像つきませんね。

フリーメイさん

おじいさん

天皇陛下のことも良くテレビでみていましたし、とても尊敬していました。たぶん多くの内地(日本本土)の若者と変わらないような生活を送っていました。
は、はぁ〜

フリーメイさん

おじいさん

小さい頃内地に行ったことがあり、八重洲に行ったことを覚えています。東京はとても発展していましたね〜。
そ、そうだったんですね。

フリーメイさん

補足
戦前の台湾では、統治初期(1895年〜1915年頃)の台湾人への圧政から、中期以降は内地延長主義が進み、多くの台湾人を日本人のように生活してもらう政策が取られていました。そして太平洋戦争期には陸軍への志願制度なども始まり、台湾人日本兵などが登場していきます。

日本敗戦後の話を聞く

あの〜、日本って太平洋戦争で負けて降伏しましたよね、、それでその後台湾はどういった状況にあったのですか?僕の認識だと、日本が台湾から引き上げて、代わりに国民党が大陸から来ましたよね

フリーメイさん

おじいさん

そうですね、あの時はビックリしました。それまで私は自分が日本人だと思ってましたから。。今まで当たり前に喋ってた日本語が使えなくなり突然、中国語が公用語になりましたし、慣れるまでとても苦労しましたよ。ですけど中国語しか使わなくなっても、日本語を忘れることができませんね。
そうだったのですね。

フリーメイさん

おじいさん

ただね、こういったことは、私以外の同世代の台湾人が経験していることですよ。だから今日アナタみたいな若者にお話できて、とても嬉しいのです。
こちらこそ、そんな歴史が有ったなんて、、

フリーメイさん

おじいさん

ハハハッ、まぁ複雑な話なので家族にはあまりこういった話はしませんがね。たまにこうやって日本の若者と話す機会があると楽しいものですね〜

終わりに

  • 小さい頃はよく日本の軍歌を歌いましたよ、今でもカラオケに行くと歌います
  • 幼少の頃、内地の東京八重洲に行ったことがあります
  • 高雄ではバナナがよく取れたから高雄港はバナナの輸出拠点としても戦中〜戦後にかけて栄えたのですよ
  • ずっと私は日本人だと思っていました。でも敗戦を迎え、国が変わり、自分が何人なのか、アイデンティティを失いかけた時があります。この経験は私だけでは無いはずですよ

優しい口調で、そして懐かしそうに昔話を聞かせてくれます。戦前は日本語が公用語だったのでとても流暢に語ってくれます。

自分の話す日本語よりも正統な日本語だな、と思いました。自分のおじいちゃんと話しをしているような感覚でした。

こういった歴史に翻弄された人々は世の中に存在していて、時間が経つごとに、歴史の闇に葬り去られます。こういった事実を現代人が知ることで、その人達の何とも言えない『思い』が報われるのではないでしょうか?

そして筆者自身も失われた「日本文化」が日本の外で生きているのが実感でき、歴史を知ることの大切さ、そして過去を知らないことの恥ずかしさを痛感しました。

おじいさんは今の価値観で言えば疑いようのない台湾人なのでしょう。もともとは日本統治下の台湾で「日本人」として育った台湾の若者だったのだから。

だけど日本の敗戦が、これ以上日本人であることを許さなかった。そして台湾という地域(日本は国家承認していない)は今も大国に挟まれ、様々な問題を抱えて存在しています。

いわゆる現代の台湾問題にも日本が大きく関わっていることを認識すると、アジア情勢というのはもっと興味深く捉えることができるでしょう。

おじいさん本当に貴重なお話有難うございました!

フリーメイさん

なぜ台湾は親日なのか?日本統治時代50年振り返る ナゼ台湾人は親日なのか?日本統治50年の台湾史を研究してみた。 【環島】台湾自転車一周の旅、3日目 【環島3日目】高雄港はバナナ埠頭と呼ばれた?ビーチリゾート地「墾丁」に向けて南進!

日本統治時代の台湾を知るにはこの一本!

『KANO~1931海の向こうの甲子園~』
KANOは台中にある嘉義農林学校野球部の日本人・中国人・台湾人の混成チームの球児たちが甲子園を目指し、台湾代表を勝ち取り、内地、日本の甲子園で戦うストーリーです。日本統治時代の台湾を題材にした映画で台湾でも大ヒットを記録している映画ですよ!2018年12月現在U-NEXTで視聴できますのでぜひどうぞ!

U-NEXTを31日間の無料お試しをしてみる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください